User Interface Design

ユーザインタフェースとは何でしょうか?

文字通り、人とアプリケーション、人とシステム、人とサービスを繋ぐ「接点」です。



では、良いユーザインタフェースとは?



というテーマで書こう、とか思ってたら[twitter:@motomaka]さんがズバリ直球テーマで書いておられました。
書こうと思ってた事が、しかもとても分かりやすい形でだいたい網羅されています。示唆に富んだ良いエントリですので読んでおられない方は是非。

スマホアプリの「使いやすさ」とは何か、を考えてみた - もとまか日記Z
スマホアプリの使いやすさって、なんだろう?



実は最近、よく考えてるテーマです。

そんな感じのメモ。


まぁ、いつもの僕だったら「じゃあ僕は書かなくていいや」で終わるのですが、このテーマは今後のこのblogの方向性にとても関係するので、一部重複する内容になるかもしれませんがご容赦を。パクリじゃない。パクリじゃないぞ。


といいつつ、今回は一旦iPhoneアプリという視点から離れたお話。


UIに唯一の正解は無い

ユーザインタフェースを考える上で重要な事。それは「そもそもユーザとは誰なのか?」ということです。字義から考えれば当たり前すぎる事ですが、ユーザインタフェースには、それに触れる人、即ち「ユーザ」がいます。


でも、その「ユーザ」はどんなものでも同じ「ユーザ」なのでしょうか?


例えば一般的なドリンクの自動販売
缶のサンプルが1列ないし複数列並んでいて、それぞれに値札のラベルがあり、その下に商品サンプルと対になるようにボタンがひとつずつ存在します。そしてお金の投入口と投入金額の表示。

この装置を初めて見る人でも、この装置が何が出来るものであるかが分かっていれば説明を受けずとも概ね求める結果を得る操作が出来るはずです。


これは、自動販売機が初心者でも誰でも同等に扱えるユーザインタフェースである、ということを示しています。自販機の目的は商品を買ってもらう事ですから、「商品を求める人」全てが「ユーザ」であり、操作について悩む余地のないシンプルさこそが重要です。


一方で、おなじモノを売るための装置であってもレジ(キャッシュレジスタ)などはどうでしょう。
最近はバーコード読み取りだったり、入ったばかりのアルバイトでもすぐ扱えるようなものではあるのでしょうが、それでも未経験者が説明も受けずに「見ただけで」扱えるようなものではないはずです。清算して、商品を客に譲渡する契約を完了させる、という意味では同じ目的の装置であるはずですが、自動販売機とは大きく異なります。


では、レジの「ユーザインタフェース」は不適切なのでしょうか?


もちろんそんな事は有りませんね。レジを扱うのは商品を購入しにきたお客さんではなく店員です。店員は業務を理解して、最低限のトレーニングを経て、「ユーザ」になるわけです。レジは実際単品を売るだけでなく、複数の商品をまとめて清算したりレシートを発行したり、割引値引きなどに対応したり、更には出納業務やPOS機能など、複雑な業務に対応するシステム(の端末)ですから、「初見で使える」ことではなく「業務を合理的に処理出来る」ことに最適化されたインタフェースでなくてはならない、ということです。



まぁ上の例は必ずしも適切ではないかも知れませんが、大事なのは「ターゲットを明確にし、ターゲットにあわせたUIをデザインする」ことです。ここで言うターゲットとは「想定されるユーザ」であり、「利用目的」でもあります。



あ、上の例で「セルフレジとかも有るだろ」という反論は話がややこしくなるので受け付けておりません。


シンプルである、ということ


ここでもう一つ例として、アナログ時計を思い浮かべて下さい。
文字盤と針。とてもシンプルで、最低限の情報量から時刻を読み取ることのできるインタフェースですよね。


でも、このデザインから時間を読み取るためには前提を理解する必要が有ります。長針と短針の意味、12分割と60分割。誰もが読み方を教わって、「そういうもの」と学習する過程を経ているはずです。そういう意味では先の例ではレジに近いとすら言えるかも知れませんが、ルールが一般化されているので、多くの国で「誰でも時間を読める」デザインとして定着しています。
逆に言えばそのルールさえ前提として理解していれば、文字盤がなくても針の傾きでだいたいの時間が分かる、合理的な美しいデザインです(但し実用面では文字盤が無いと便利とは言えませんが)。

じゃあ、ルールさえ決めれば、全く新しい読み方の時計を作っても良いのか?
勿論作るのは自由だし、実際特殊な時計も売られてはいます。でもそれは「誰でも意識せずに使えるユーザインタフェース」ではないですよね?新しいルールが浸透しなければ、アート作品や面白グッズの域を出ません。

ユーザインタフェースをシンプルに設計する、というのはそういうことです。オリジナリティにこだわるあまりスタンダードやセオリーに逆らうのは美しいデザインとは言えません。


勿論、スタンダードが絶対という訳ではありません。アナログ時計に対してデジタル時計が存在するように、全く新しいデザインであっても、単に奇をてらうのではなく従来のものより直感的に使えるものが生み出せるなら、それはデザインの進歩であり、もしかしたら進化かも知れません。
デザインは保守的であるべきだと言っているのではなく、「ユーザインタフェース」である以上、根幹にバランス感覚が必要だと言う事です。説明なく直感的に使ってもらうという点において、既に慣れ親しんだものと似ている、というのはそれだけで強みになります。


快適さを追求する

さて、改めて。
よいデザイン、よいUIとはどういうものでしょうか?


ひとつ僕なりに回答するなら、「快適である」ことです。「心地よい」と言い換えても良いです。上に挙げたようにターゲットを想定して、ターゲットにとって一番使いやすい設計である事。そしてシンプルである事。それらはユーザにストレスを感じさせない、快適さに繋がるはずです。


どのような事に気を配れば良いのでしょうか。アプリケーションやWebサイトについても唯一無二、という正解は無いけれど、注意すべきポイントは有ります。

  • 見やすい色やフォント、文字間隔、文字サイズ、行間隔。
  • ボタンの配置、メインコンテンツの大きさ。視線が適切な順序で誘導されること。
  • 「操作出来るもの」かどうかが見た目で判断出来る事。ユーザイメージと乖離せず、直感的に扱える事。
  • 操作に対して適切な応答があること。レスポンスの速度。
  • 必要最小限の情報量。一覧性。適切な階層化。
  • ユニバーサルデザイン

これらはごく一部ですが、必要に応じて様々な角度から「快適さ」を追求すべきだし、工夫ひとつでずっと快適に出来る部分は少なくありません。各論はまたいずれ。
スマートフォンタブレットの話ならこれにタッチジェスチャや各種センサをどう扱うか、も重要ですね。


但し、やはり共通して重要なのはシンプルに考える、ということです。


あと予告的な

さて、今回は大雑把な総論と言うか、僕なりの考えを示しました。僕なりといっても、多くはセオリーとしてデザイン関連の書籍などに書かれている事でもあります。


ちゃんと設計されたアプリにはボタンの位置や順序にも意味が有り、作り手の思想が透けて見える。そしてそれを追求したアプリは自然と美しいデザインになる


まだ今回はスマートフォンiPhoneアプリの話をしていませんね。
スマートフォンのアプリはまだ発展途上で、セオリーが固まってるとは言えません。ときに美しく、ときに機能的に、ときに独創的に。次世代のスタンダードになるかもしれないデザインが日々生み出されて僕の手のひらに現れる。いや、本当にわくわくしますよね!