月は鏡、月には鏡

なんか人類の月面着陸を信じない人が2割もいるとか言う話が先日話題になってた。
信じないこと自体は悪いことではないと思うよ。なんでも鵜呑みにするよりは、懐疑的な視点を持つのは情報リテラシの面からしてもいいことだ。ただ、問題は「月面着陸を信じない」ことではなくて、何故「月面着陸は嘘である」という話を信じているかだ。はっきり言ってしまえばこのアンケートの2割に回った人のうちの大半が「情報に対して懐疑的」なのではなく、胡散臭い雑誌やTVの検証番組とやらを鵜呑みにしてしまっている人だ。
月面着陸に対して懐疑的な視点を持つのならば、必要なのは科学的な視点からの考証であり、論理的な結論であるはずだ。このアンケートの結果が宜しくないのは、信じない人がいることではなく信じないと言っている人たちが結局のところ別の情報に丸め込まれて信じ込んでいるに過ぎず、情報リテラシも科学リテラシも決定的に足りていないところだ*1
もっと言うなら、彼らはどちらを信じるかと言うのは実のところどうでも良くて、「実は月には行っていない、陰謀だ」という結論が事実だった方が面白いと思っているだけの人たちだと断言できる。自覚を持って面白がっているだけのうちはいいけどな。面白ければいいというなら、世界を創造し進化を操っているのは空飛ぶスパゲティ・モンスタであってもいい訳だが。いや、それはそれで事実なら寧ろ魅力的だな。
重ねて言うが、知的興味から発露した結果として「月面着陸は嘘だ」と思うことは構わない。僕自身、そう言い切る人間の意見を覆せるほど論理的な説明が出来るかと言われると難しい*2。それなりの考えを持ってそう信じている人が相手なら、決定的に論破するには相当の知識と説得力が必要だからだ。だったら疑う人、信じない人がいるのはそれは却って健全なことだ。
懐疑論に与するならもうちょっと興味を持って調べたり考えたりすればいいのに、「誰かが言った面白そうな"真実"」に寄っちゃってるだけでは根本が違うよな。「随分昔の話なのに「2回目」が無いから」なんて40代のおっさんが本気で答えてたりとか、どうなのよ。「月をなめるな」みたいな話を読んで、日本の将来が不安になる人もいれば、自分はまだまし下には下がいると安堵する人もいるかもしれない。どっちでもいいんだけどさ。

*1:無論、信じている8割は問題ない、ということにはならない。たまたまこの質問で炙り出された人が2割の側にいるだけだ。

*2:というか多分無理。